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F1の模型を作るのが大好き!それだけさ~

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いやあ、嬉しいですね~!
昨年暮れ、突如休刊となってしまったF1モデリングがついに復刊することが正式に決まりました!!
実は、「そういう方向で動いている。6月ごろには・・・」と言うお話しは、関係者の方からお聞きしていました。6月復刊ならばもう広告の打診があっても良い頃だろうと、先月中ごろには思っていたのですが、なかなか打診も来なかったので「やっぱり難しいのか・・・」とちょっと思い始めていました。それが今月に入り、ようやく連絡が!しかも、以前お世話になったスタッフの方から連絡が入りました。
聞けば、編集長をはじめ、スタッフの方々もほぼ以前と同じ。内容的にも、以前のスタイルを踏襲することができるそうで、要するに版元が変わる以外にはなにも変わらないと言っても良いようです。
「F1modeling」というネーミングやそのロゴもそのまま使えるそうですし、7月10日発売予定の復刊第一号は「Vol.35」として発売されます。そのあたりは、我々には分からない難しい問題もあったのではないかと思います。関係者の方々の相当なご努力があったものと推察されますね。
編集長をはじめ、スタッフの皆様、関係者の皆様のご努力に敬意を表します。そして、出版不況の中、新たな版元として名乗りを上げてくれた東邦出版さんにも感謝の意を表したいと思います。
しかし、何よりも、「復刊」を可能にしたのはユーザーの皆様の熱い声援だったと思います。スタッフの方もそう言っていました。おそらく、「復刊」を望む声が数多く寄せられていたのだと思います。販売店に過ぎない当店にさえ、かなりのお客様からそのような声をお寄せいだいておりましたから。

復刊第一号となるVol.35は、2008年シーズンのマシンに関する記事が中心になるようです。昨年、一度は「126C2」特集として発売予告されていましたが、毎年この時期は新車の画像を紹介する特集が組まれていましたからね。126C2の特集が今後予定されているかどうかまでは分かりませんが、それを期待するユーザーの方も多いですし、是非出して欲しいものですね。フジミからはCKも出るので、丸ごと一冊C2&Ckなんてのも良いかも。ミシマ的には「ミナルディ大特集」とか「日本人ドライバーのマシン特集」とかを期待しますが、さすがにミナルディ特集はムリだろうな・・・ね、編集長?
いずれにせよ、今後の展開がとても楽しみです!「こんな特集をして欲しい」と思えるだけでも楽しくて、本当によかった!!
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数日前から、次男坊が「テレビが壊れた」と言っていました。曰く、「何も映らなくなった。音も出ない。」そうでした。次男坊が自室で使っているテレビは我が家では2番目に古いものですが、それでもまだ10年はたっていません。いかに安物とは言え、日本の大手家電メーカー製で、そんなに簡単に壊れるとは思えないんだけどなあ。もっと古いテレビ(もう20年近く使っている)が普通に使えているのにね。
それでも、「テレビばっかり見てるからさ。しっかり勉強しろってことだよ」と笑い飛ばしていたのですが、高校生の自室にテレビぐらいないのも可哀相。仕方ねえ、また安物買ってやるか。こんなことならパソコンを買ってやったとき、テレビの映るタイプにしてやればよかった・・・
などと思いつつ、一応どんな具合なのか確認してみよと思い、昨日チェックしてみました。すると・・・

アンテナ線がはずれてるじゃないか!

アホか・・・

アンテナを繋ぐと、もちろんしっかり映りましたよ。

情けない・・・入力がなければ何も起こらないのはテレビに限ったことではなく、世の中の様々な事柄に共通する基本なんだよ!覚えとけ!!

教育の仕方、間違えたかなあ・・・
道交法が改正されて、後部座席のシートベルト着用が義務化されましたね。当面、万一違反してしまっても「指導」だけで済むそうですが、安全のためのルールですから守らなければ。後部座席に乗せる人の命を大切に思うと言うことは、当たり前のことなのに今までおろそかにされていました。我が家では後部座席には息子たちが乗ることが多いですが、ミシマ自身、シートベルトをするように言ったことはなく、意識が薄かったです。お恥ずかしい話しで、今まで何事もなく無事でいたことは非常に幸運だったと思います。
そういう意味で、今回のこの改正は良かったと思いますね。以前、運転席と助手席のシートベルト着用が義務化されたときも、最初は「めんどくせえなあ」と思った人も多いはずですが(ミシマもそう思いました)、今ではすっかり慣れちまって習慣化してしていますよね?どうせそうなるのですから、どんどん自ら率先して着用しましょう。タクシーの運ちゃんも大変そうだし。
で、実は我が家の車の後部座席のシートベルトがどうなっているのか確認してみました。すると・・・
なんと、そのうち一台の(2台しかないけど)後部座席にはベルトは付いているのにどこにもバックルがない!
なんでじゃあ!!
車の説明書を引っ張り出して読んでみましたが、シートベルトについては「正しい着用の仕方」などが書いてあるものの、汎用的な説明のみでこの車の後部座席のバックルがどこにあるのかは一切説明がない。自動車メーカーの意識そのものが、まだまだそういう時代だったってことだねえ。最初から付いていなかったのか?それとも何らかの理由ではずしちゃったのか?どっちも考えにくいけどなあ・・・まったく記憶ないし。。。
いずれにせよ、このままではマズイ。バックル付けて貰わなくちゃ。

皆さんも後部座席、チェックしておいた方が良いですよ~
昨日、学生時代に原宿でやっていたバイトのことを書きましたが、当時の会社の名前を覚えていたので試しにネットで検索してみました。
ミシマの予想では、多分もう無いだろうと・・・当時からそれほど経営が楽そうではなかったし(もちろん、本当の中身は知りませんでしたが)、社長はおとなしくお人よしで、魑魅魍魎の徘徊する業界内ではきっといつか誰かに喰われてしまうのではないかと勝手に思い込んでいました。それに、中小企業の倒産は銀行員時代にいくらでも見てきていて、20年以上も同じ業種(しかも浮き沈みの激しい業種)で頑張り続けることがどれだけ大変かも少しは分かっているつもりでした。
Googleで検索してみると・・・
・・・あるじゃん!
まあでも、同じ名前の会社があってもおかしくはない。懐疑的な思いをぬぐいきれぬまま、会社の概要などを見てみると・・・
お!社長!生きていたのね~!!
いやあ、なんか懐かしいし嬉しいなあ。しかも驚いたことに、会社の住所は東京都板橋区!何?
すぐそばじゃん!!!
と言っても歩いていける距離じゃないけどね。近いことは近いが、行きにくい位置だなあ。
もっとも、今はメーカーとして活動しているようで、店舗はないみたいでした。お店なら気楽に冷やかしにいけるんだけどね~。
いやあ、しかし社長、よく頑張ってるなあ。ミシマより15歳くらい年上のはずだから、もう60を超えていると思うけど。お人よしで職人肌の社長が
ここまで頑張っていられたのは、もしかしたら奥さんのおかげ?奥さんはしっかり者で、バイト仲間連中も頼っていたからねえ。可愛らしい奥さんで、仲間内では結構本気で惚れてしまっていた奴もいたっけ(ミシマではないので念のため)。その奥さんももう60近いはずだけど、う~ん、ちょっと会ってみたいものだ

そのうち行ってみるかな~。社長、覚えてるかな?
学生時代にどんなアルバイトをしていましたか?
先日、お客さんとそんな話題になり、昔のことをいろいろと思い出していました。
ミシマが大学時代にやっていたアルバイトは運送屋(引越しの手伝い)、ビルメンテ(ようするに掃除ね)、家庭教師(!)などなど。当時ヘビメタしていたミシマは(ぷ!)喫茶店の面接に落ちたのをきっかけにそういった業種は避けるようになりました。当時はロンゲの男なんてまだアウトローだったのねえ(ただ単にミシマが汚らしかったのかも知れんが)。運送屋さんや掃除屋さんのバイトはきつかったけど、バイト代は高めだったし、格好なんてなんでもよくて、元来マジメな(?)ミシマは結構頑張って働いていたので重宝がられていたんですよ。仲間も良い奴ばっかりで楽しかった。格好は変な奴が多かったけどね~。
一方、家庭教師のバイトは異色のバイトでしたね、ミシマとしては。そんな風体の学生が家庭教師として雇われたのは、知人の紹介があったからです。ようするに、知人の信用度が高かっただけです。。。でもそれなりに成果も上げられたので、良かった。生徒が優秀だったと言うウワサもあるが・・・
それ以外に、実は一番楽しかったのが原宿でやっていたバイト。原宿の駅前に、昔「テント村」があったのを知っていますか?今はビルがたってしまったけど、20数年前は駅前の超一等地が更地で、そこにテントを立てて洋服や小物雑貨、アクセサリーなどを売る業者が集まっていました。その中でTシャツや巾着袋、革製品なんかを売っていたお店にミシマはいたのです。これがねえ、相当面白かった。社長は製品を自ら作る職人で、温厚な人でしたが、それでいて「ヤバイ」品物を結構平気で作っちゃって一度はヤクザ屋さんに怒鳴り込まれたりしたことも。でも「ヤバイ」モノだらけでしたからねえ、周りも。テント村を仕切る人もヤクザ屋さんでしたが、メチャメチャ面白い人でした(怒ると怖かったけど)。バイト仲間や、他のテントで働く連中もヘビメタ系の奴も多くて話も合ったし、「オカマ」ちゃんも何人かいました。今でこそ「おねえマン」などといわれて市民権を得ているけど、当時はまだまだそうは行かなかったからいろいろ大変だったみたいでしたよ。そんな、一癖も二癖もある人たちが集まって、でもとっても熱気や活気のある空間でした。お客さんも、全国各地から様々な人が来るので飽きなかったですねえ。外人さんも良く来たし。テント村で「一番Tシャツ」とか「原宿巾着」とか買っちゃった貴方!ミシマのいたテントで買ったのかもよ(笑)。
ヤクザ屋さんやオカマちゃんと言った、普段触れる機会のないウラ世界の人たちと関われたのは面白かったねえ。

髪を切って銀行に就職、一転オモテ世界に復帰したのに、今また怪しい模型を作るアングラなウラ世界に戻ってきてしまいました。ミシマはウラが好きなのかもねえ~
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