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F1の模型を作るのが大好き!それだけさ~

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今日は定休日でしたが、夕方石井師と打ち合わせをすることになっていました。

たまたま石井師が別の用事でミシマの自宅方面へ出てくるので、チョイと会いましょうか、と言う話しになっていたのです。
とは言え、果たして石井師がどこに来ているのかは聞いていませんでした。ただ、「5時頃には用事が終わるので、電話します。」とだけ聞いていました。

なので、ミシマもチョイと用事があったのですが、4時半頃には自宅へ戻るつもりで、車で出かけていました。
予定通り用事を済ませ帰路へ。4時前には自宅まであと10分くらいのところまで戻っていました。

ところがちょうど4時、携帯が鳴りました。車を止めて電話に出ると、石井師でした。

「あれ?早いですね?」
「そうなんですよ、今用事終わりまして」
「今どこにいるんですか?」
「えっと・・・多摩平とかいうところです」
「へ?多摩平?俺も今多摩平5丁目と言う信号の近くですが」
「え?俺もその信号の前のファミレスなんですが・・・あ、いた、ミシマさんの車が見えますよ!」
「まじっすかあ~!?」

何たる偶然!

まったく無駄なく、効率的な打ち合わせが出来ました

だから何?って話しですがね。
なんか、気分良いじゃないですか。
ただ、それだけです~
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母が退院してきてやっと落ち着いたところですが、実は入院中、母に驚きの事態が起きていたことが分かりました。

母の話しなので、どこまで事実なのかは判別が難しいですが(所謂ボケも始まっているので)、こんなことがあったそうです。

入院後、恐らくまだ手術前のことだと思うのですが、夜寝ていた母に突如大統領から「指令」が下されたそうです。
いったいどこの大統領からの指令なのかわかりませんが・・・やっぱオバマ???

で、その指令とは・・・
「スペースシャトルに乗り込むように」
だそうで・・・

なんでも、「帰還する山崎直子さんたちに代わって、さまざまな年齢の人たちを宇宙へ送る計画がある。年齢によって宇宙での生活に対する適応力にどれだけ差が出るか「実験」を行うのだ。あなたが80歳代の代表に選ばれたので至急基地へ向かうように」、という指令だったのだそうです。

母は使命感に燃え、着替えて羽田へ向かおうとしました。真夜中だったそうですけど
そこへ当直の看護婦さんがやってきて
「なにしてるんですか!?」

母は「スペースシャトルに乗るために羽田に向かう」と答えたそうですよ。看護婦さんがどうやって母を正気に戻してくれたのかは謎。でもとにかく母はスペースシャトル搭乗を諦めたそうです。
病院側からそんなことがあったとは一言も説明が無かったので、実際にはすべてが夢なのではないか?

でもそれって・・・
もしかしたら、お迎えが来ていたのではないのか?そのままスペースシャトルに乗るところまで行ってしまったら・・・

母は今ごろ、星になっていたのかもしれません。。。





おかげさまで、母が無事退院しました。

手術の直後は結構元気でしたが、その後だんだん様態が悪くなり、つい一週間ほど前は非常に苦しそうにしていました。ベッドの中で体を動かすこともできず、どうなってしまうのかと心配していましたが、まるでウソのようです。先週の後半から少しずつ食事が出来るようになると、元気が出てきたようです。
今週火曜日に先生から呼び出されていたので病院へ行くと、「いつでも退院していい」と言われてビックリでした。退院へ向けての説明だろうと想像はしていましたが、それでも実際に退院できるのは一週間くらい先のことかと思っていました。母自身は、もう今すぐにでも退院したいくらいの勢いでしたよ(笑
結果、翌日退院、ということになり昨日は母をむかえに病院へ行ってきました。支払いやら保険の手続きやら、一通り済まないと退院できないのに、母は「早く帰ろう」と気がせいて仕方のない様子でした。

でも実は、まだ一人では歩けないんです。父や私が支えながら、ゆっくりと歩いて病院を出ました。これからの生活でも、誰かが介護しなければトイレにも行けない状態です。今度は、実際に一緒に暮らす父に大きな負担がかかることが心配になってきました。
なんとか私の車に乗り込み、病院を出ると久しぶりに見る町の景色に喜んでいました。自宅へ戻ると「寿司が食べたい」と言うので、寿司を買ってきて皆で食べました。病院の食事を「おいしくない」と文句を言っては残していた母が、「おいしい」と言いながら寿司を食べる姿に、本当にホッとしましたね。

それにしても、大腸を大きく切除して約2週間で、特に食事制限も無いなんて、人間の体はスゲエんだなあ。先生の腕が良かったのかもしれないけど、とにかくビックリですよ。
とにかくどんどん食べて体力を回復して、リハビリして早く歩けるようになって欲しいところです。今後、再発などの心配が無いわけではないのですが、現状はとりあえず危機を脱して快方へ向かっている、と言って良いと思います。

母が入院していたのは約40日ほど。その間、母の容態に一喜一憂しながら、いろいろなことを考えさせられました。母本人ともいろいろ話しが出来ましたが、父や兄ともいつもより密度の濃い話しが出来ました。仕事に集中できず、お店も休みがちで皆様にもご迷惑をおかけしましたが、ある意味有意義な時間だったのかもしれません。いざその時にならないと考えないこと、分からないことが沢山あります。

とにかくこれで一安心です。私も、仕事終わりに病院へ通うこともなくなりました。早速本日から、通常の営業体制に戻しました。長らくご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。
ご心配いただいた皆様、本当に有難うございました。心より感謝申し上げます。

ありがとうございました!
長い一日でした。

母の手術は10時ごろ始まる予定でしたが、その前の手術が長引いているらしく、なかなか呼ばれませんでした。
手術を待つ間、「どうせなら早くやって欲しい」と何度母の愚痴を聞かされたことか。ようやく12時半ごろ、看護婦さんが母を迎えにやってきました。
やや緊張した面持ちで手術室に入る母を見送った後は、控え室でただひたすら待つのみ。父や兄もいましたが、たまに会話するものの、それほど話すこともなく・・・と言うか、話すような雰囲気でもなかったです。
時間はとてつもなく重くゆっくりと流れていました。
それでも1時間、2時間と経過し、手術室からは何の連絡もないので、恐らく予定通り順調に進んでいるのだろうと言う憶測がだんだんと現実味を帯びてきました。何か問題があれば、連絡があるはずです。

母が入室してから3時間半ぐらいたったとき、ようやく先生が出てきました。「オペは予定通り、無事終わりました」と言う先生の言葉に、家族一同安堵したのは言うまでもありません。
「ご説明しますので」と言う先生に促され、別室で手術の経過を聞かせていただきました。母の体内から摘出された患部も見せていただきました。
もちろん、そんなものを実際に見るのは初めてのことですが、気色悪いとか感じることはなく、「こいつが母を苦しめた悪玉か!」と言う思いで見ていました。

先生の説明では、手術は成功したが、縫合不全などの問題がないかどうかは、今後1週間程度は経過を見る必要がある、とのこでした。今夜はICUで完全看護され、問題が出なければ明日には一般病棟に戻れるそうです。

やがて母が麻酔から目覚め、少しだけ面会が許されました。我々は手を消毒してからICUに入り、まだ少し朦朧とした感じの母に会うことが出来ました。

「あなた誰?」とか言われたらどうしようかと思いましたが、ちゃんと分かってくれていました。よく頑張ったね、と皆が口々に言うと、小さく頷いていました。
僅かな面会時間で帰ろうとする私や兄に、母は一生懸命手を伸ばして来ました。母の手を握ると「温かいね」と言いながら、少し微笑んだように見ました・・・

今頃、看護婦さんに見守られながら、落ち着いて休んでいるのでしょうか?麻酔が切れれば、傷口が痛むのではないのでしょうか?
何事もなく、ゆっくり眠れていれば良いのですが・・・

それにしても、先生や看護婦さんたちが、とても忙しそうにしていながらも常に献身的な態度でいてくれたことにはとても感銘を受けました。そして、大腸を大きく切り取っても生きながらえることが出来る現代の医学のなんと素晴らしいことか。
今まで、ドラマでしか見たことがなかった「別世界」が急に身近な世界となり、医療現場で働く方々の現実も少しは垣間見ることが出来て、とても勉強になりました。これからは、もっと医療問題に関心を持つことになるだろうと思います。

まだ完全に安心できるわけではありませんが、大きな山は越えた感じです。無事退院できるまで、私もまだしばらく病院通いが続きますが、日ごとに回復へ向かう母を見ることができるはずなので、今までとは気持ちが違います。
先生、看護婦さん、母の世話をしてくださった皆様、そしてご心配くださった皆様、本当に有難うございました!

まずはこのところ毎度の話題ですが・・・

昨日母の手術について、具体的な説明を受けてきました。
大腸の三分の一ぐらいを切除してしまうそうです。聞いただけでゾッとしますが、それが最善の策なのでとにかくやるしかない。合併症や縫合不全などのリスクがあることもきちんと説明を受けたうえで、父がいろいろな書類にサインしてきました。
手術は今度の月曜日に行われることなりました。実際に開腹してみないと分らない部分もあるそうで、手術の途中で方針転換の判断を迫られることもあるそうです。そのため、手術中は家族は待機している必要があり、もちろん私も待機します。
したがいまして、5月17日(月)も臨時休業させていただくことになりました。大変申し訳ございません。
お客様・お取引先には大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願いいたします。

さて、それではようやくホビーショーレポートです。
画像も無事取り込むことが出来ました。

が、しかし・・・

ボケボケじゃんか!!!

スミマセン、へぼくて・・・

殆どの画像がぶれてしまっています。。。ここはお見せしなくちゃ、と思って撮ってきた画像も、とてもじゃないがお見せできるような画像でなかったり・・・

ま、その中では声でも比較的良い画像を選んで載せますね。。。

今日はやはり注目のハセガワ・タミヤの79について。

左がハセガワ・右がタミヤです。
ハセガワはサイドポンツーン上の開口部が一体成型されていますが、タミヤは別パーツ化されています。


左がハセガワ・右がタミヤです。
タミヤもタイヤは新規に作ったようですね。過去の70年代マシンのタイヤはグッドイヤーのロゴがモールドされていましたが、今回はなし。
注目はファンネルカバーです。ハセガワはクリアパーツですが、これが意外にイイ感じです。墨入れして使うと、なかなか。いずれにせよ、別売りのエッチングパーツを買うとメッシュのカバーが付いてきます。タミヤは最初からメッシュです。


左がハセガワ・右がタミヤです。
どちらも同じような感じではありますが、タミヤは相変わらずグッドイヤーのロゴが無い。JPSは仕方ないとしても、グッドイヤーは入れなくちゃいかんでしょ。どーにかしてよ、タミヤさん。
それから、タミヤはシートベルトをデカールで入れていますが、ハセガワはプラパーツになっています。ハセガワの別売りエッチングにはバックルとリボンが付くそうですので、どちらかを選べばよいわけです。タミヤも別売りエッチングにバックルは付きますが、デカールでは立体感が無さ過ぎるので、ハセガワの方が気が利いています。


その他、ハセガワのパーツ類。


その他、タミヤのパーツ類。

タミヤのDFVは完全に新規と言うわけではなく、エキパイなどが新しくなっているみたいです。

両社とも、それぞれ特徴があってどちらを選ぶかは悩むところかもしれないですね。ただ、ハセガワの担当の人はとても熱心に解説してくれて、このキットにかけた情熱を感じましたねえ。
お互いによきライバルとして切磋琢磨してほしいところですね。

フジミのFW14bなどについてはまた後日!
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